星を駆ける列車の窓辺

主に好きなアニメ、ゲームについて書いていきます。

コナン映画の傑作!!名探偵コナン から紅の恋歌

名探偵コナン から紅の恋歌」感想

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先日行ってきました!
実は、夜は短し歩けよ乙女かゴーストインザシェルを見る予定だったけど、殆ど上映が終わってた。。゚(゚´Д`゚)゚。

そこで何の前情報も入れていなかったコナンを見ました。

結果、最高の体験をさせてもらいました!!(*≧∀≦*)

製作陣に感謝の言葉を述べたいです。

 

[感想]

ゴールデンウィークの初日ということもあり、当日の会場内は中高生のカップルと親子連れが多かったです。

流石コナン映画。

若い世代にコナンというコンテンツが受け入れられていて結構嬉しくなりました。

 

しかし、僕が最後に映画館で見た純コナン映画は、天国へのカウントダウン

 僕は不安がこみ上げてきました。

30も近いおっさんがコナンを楽しく見ることが出来るのか。

 

そんな不安をかき消すように始まった映画の予告。
そして本編が始まると、そこには見慣れないキャラクター達の姿がありました。

 

「ああこれが今回のゲストキャラクターかぁ」と思っていると、そこへ現れるコナン達。
昔から変わらないコナン達のやりとりでした。

 

懐かしい感傷に浸っていると、お馴染みのBGMに合わせて掛かるいつものナレーションが。

 「俺は高校生探偵の工藤新一!」

 何とも言えない感覚に心踊り胸を高鳴らせてしまいましたよ。

 変わってない。

 青春時代の淡い思い出を思い出しながら観るオープニングは絶品ですね。

 

しかし、ここから少しずつ、だけど着実に「何か」が変わっていることを感じはじめました。

 作中で表現される、所謂ギャグシーン。
周りの小中高生は笑ったり、小さな会話をしたり、それを楽しんでいる。

だけれど、僕はそれを笑えない。

 僕の青春は終わってしまっていた。

(無邪気に笑う君の顔も忘れてしまったのか。
脳裏に焼きつく思い出は色褪せたセピアの色。)

 

「ああこれが僕のコナンだったのか」

そう思った時、訪れたあるシーンに僕は衝撃を受けました。

平次と和葉がピンチになり、コナンが助ける。という場面。
コナンの機転でピンチをくぐり抜ける場面。

僕は自分の中の溢れ出しそうな感情を抑えることが出来ませんでした。

そうか。そういうことだったんだ。
僕はコナンを楽しめなくなったんじゃない。
コナンには楽しみ方がいっぱいあるということに、自分が気づいていないだけだったんだ。

 

思えば、20年ぐらい毎週やっている「名探偵コナン」には2つの面白さがあります。
いやそれは、20年間続けていく中で醸成された、「名探偵コナン」という作品の2つの顔です。

1つは、ラブコメを主軸とした真面目な推理物。

もう1つは、毎週の話で作り上げられてきた「名探偵コナン」というアニメの「お約束」を土台としたシュールアニメとしての顔。

 

例えば、放送当初は新鮮で斬新だった「毛利小五郎を裏で操り、事件を解決するギリギリのスリル」。

これも長年の放送のなかで、ある種の「お約束」と化しました。

放送初期は推理時にコソコソ隠れていたコナンも、最近では実に大胆に、蘭や歩美達の目の前で推理するのです。
その姿はまるで「盲点星をつけたドラえもん」、「トムを騙すジェリー」の如く。

 

そんな「お約束」が、当たり前になった近年のコナンは、実にシュールな面白さを持っている。
言うなれば、裏コナンであります。

 

今作の平次和葉コナンのシーン。パラボラアンテナを使った脱出劇で、僕は僕が気づいていなかった本当のコナンの面白さに気づいたのです。

 

裏コナンの面白さに気づいたのです。

 

そこからの劇場での観賞。

また1つ。また1つ。

寄せては返す感情の渦に飲まれそうになる自分を律しながら、コナンの新たな楽しさに心を震わせました。

ギャグシーンは、真打ちであるシリアスシーンの布石になり、コナン達が真面目に喋れば喋るほど僕は目に涙を溜め、溢れ出す感情を必死に堪えました。

 

推理や状況説明のパートは会話のテンポが重要視されていて、さながらシンゴジラの会議シーンを思い出してしまう。

誰が犯人なのか、どんなトリックなのか。

それはまるで饒舌な落語。もしくは上質なライムを綴る子気味良いラップの如く、音と雰囲気を楽しむ要素に変化していきます。

 

しかし、この映画が本当に描きたいのは平次と和葉の恋の行方です。
物語全体を通してそれは見事に描かれています。

 

本作は、近年のコナン映画が忘れていたであろう「ラブコメ」「アクション」「推理」のバランスをちゃんと持ち合わせながら、長年で培ってきた「裏コナン」の要素を全面に押し出した傑作なのです。

 

GWの始まりをこの映画で彩れて、本当に良かった。

 

本作は、一本の映画作品としてみてしまうと、コナン映画の中でも下から数えた方が早いでしょう。

しかし、それは面白くないということではない。

僕はこの作品は、コナン映画の論評に於いて今後10年は語られていく傑作であると確信しています。

 

今作は是非是非、「劇場」で観ることを勧めます!

 

今作は「青春時代をコナンで過ごし、コナンの面白さを忘れかけた世代」の人間達こそ観て欲しい怪作なのです!!

 

超絶ネタバレ有り。ニーアオートマタ ネタバレ 感想

追記&文章改変しました。

 

 

[今回の記事はネタバレ全開です!!]

 

まだプレイされてない方で興味のある方は、ネタバレ無しの記事も書きましたので宜しければそちらをどうぞ!

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※ 初見は情報を見ずにプレイした方が絶対に良いです!
注意して下さい!

 

では、以下ネタバレ有りの感想です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「命もないのに殺しあう」

 

クリアした今となっては、すごく秀逸なキャッチコピーですよね!

命を持たない者たちの心の葛藤を描くことで"存在,,というテーマを浮き彫りにしています。

 A2や9S、パスカルの最後の選択だけに留まらず、サブクエやウェポンストーリーに至るまであらゆる所に"存在,,というテーマを仕込んでいてゲーム全体が大変美しいです。

そして選択肢を沢山用意してプレイヤーに選択させることで、作品のテーマや問いかけにプレイヤーが答えを強制されることがないのが良かった。

ゲームにしかできない、インタラクティブな作品になっています。

 

本作は周回前提の内容ですが、その度に新たな謎が展開されていく構造になっています。なので飽きることなく最後まで楽しむことができました。

予算と容量をを節約しながら、良いものを作るために工夫をする。その創造性はすごく日本らしい。

お金を掛けまくってリッチなゲーム体験を提供する、洋ゲーとは真逆の発想です。日本にしかできない細やかな気配りと作家性があって、日本産ゲームのあるべき方向性を明確にしていると思います。

 

[ゲームプレイ]


1周目は2Bを使ったプラチナイズム全開のゴリゴリ3Dアクションと様々な形のシューティング。
2周目から使う9Sでは"ハッキング,,が加わり、レトロシューティングゲームの要素がプラスされる。
3周目はプラチナアクションとシューティングとレトロシューティングゲーム

 ゲーム序盤からシューティングの要素が散りばめられ、その度合いは周回ごとに徐々に強まっていき、それが最後の弾幕シューティングへの伏線になっている。完璧なバランスだと思います!

 

レトロシューティングは、本アクションとのゲーム感そのものを変えることで、アンドロイドがネットワークに潜る感覚を再現することにも一役かっています。それがプレイヤーのゲーム世界への没入感を高めてくれています。

 このシューティング要素は、世間では賛否両論だけれど、僕はシューティング大好きなので心を射抜かれました。

シューティング要素はゲームの発売日まで一切公開されず伏せられていたし、ゲーム開始直後がシューティングシーンだったので、これは確信犯でしょうw

そのからかい具合が、実にヨコオタロウさんらしいですw

 また、
ゲーム起動直後からアナウンスされるオートセーブの排除予告にも笑いましたw

 それに伴った義体システムはデモンズソウルの血痕システムのそれですが、ただ真似るのではなく世界設定や物語形成にまで落とし込んでいてオリジナルなものになっています。

 

[物語の話]

 

今作は、アンドロイドと機械との代理戦争の話です。

アンドロイドと機械は「戦いに勝つ」という目的を創造主に与えられています。

創造主のために戦うことが存在意義。

その中で、機械は生きる意味を多様に見出していこうとします。
そして、アンドロイドも機械と触れ合うことで少しずつ生きる意味の多様性に気付き始めるのです。

しかし、突然訪れる真実の開示。

双方の創造主は既に死亡していた。
創造主の死亡は、存在意義の喪失。
生きる意味の多様性を考える以前に存在意義自体を失ってしまう。


そんな中で、なんとか生への意味を見出そうとする9S。

 

彼は、2Bこそが自身の生きる意味だと思いはじめる。
しかし、2Bを激しい戦いの中で失ってしまい、世界への存在意義と同時に生きる意味すら失ってしまう。

 

一方、2Bを介錯したアンドロイドのA2。

 

彼女は、創造主を裏切った脱走兵。
かつての仲間も全員死んだ。
存在意義が無い。
生きる意味もない。

 

この世に何も執着がなくなった彼らが互いに殺し合う姿は、実に虚しく悲しく美しいのです。

そして死の間際に2人は、亡くなった人達が自らの生きる意味であったと確信しながら絶命する。

それは、死ぬことこそが彼らの救済であるかの如く。

 

そんな中、これまでずっとアンドロイドを随行支援していたポッドの存在が、非常に重要な役割を果たします。

ポッドはアンドロイドを俯瞰して見ていました。

複数のポッドが情報交換することで形成された感情や意思とは、キャラクターを俯瞰でみているプレイヤーの感情や意思そのものなのです。
そのポッドに最後のシーケンス(アンドロイドの生死)を選択させることでプレイヤーをゲームの中に引き入れているのです。

 

そして、最後のスタッフロールシューティングでの選択。

 

業苦の中ででも意味を見出して生を選択するのか。

安堵を求め死を選ぶのか。

それはポッドたちの選択であるが、同時にプレイヤーの選択でもあります。

 

Eエンドをみて、生に救いを見出すのか。
Eエンドを見ずに、死に救いを見出すのか。

プレイヤーに投げかけ、選ばせる。

生きることの意味を、死ぬことの意味をプレイヤーに考えさせる。

これまでのヨコオタロウ作品の傾向からみても、ニーアオートマタではヨコオタロウ自身は恐らく、C・Dエンドが最終結論なのだと思います。

 

製作者の物語への結論は、死による救済。


それを否定するのか。
または受け入れるのか。

 

Eエンドで製作者の名前を全て壊すのは、製作者の意志へのプレイヤーの反抗のメタファーであるように思うのです。

それは、自らのゲームを壊させるクリエイターの自殺願望とも取れるし、この世と生への希望をプレイヤーに託しているようにも思えます。



ゲームの構造と物語を融合させ、尚且つプレイヤーとゲームの壁をも飛び越えて、この物語の結末をプレイヤーに委ねる。

これから僕たちがどんな選択をして、数年後このゲームの結末がどの様になっているのか。すごく楽しみです。

 

自らのセーブデータを他者の願いに託し、託された人が、また他者の願いを祈る。
この螺旋が続く限り、世界への希望。生きることへの希望は存在するのかもしれないと僕は思いました。

 

いやぁ、すごいゲームです!
まだまだ言ってない魅力がギュウギュウに詰まっていて ミルフィーユみたいな物語とゲーム構造なんですよね!

ゲーム業界全体で考えても、TOPクラスに心に深く刻まれた作品になりました。

次回作に大いに期待しつつ、これからもこのゲームをやり込んでいこうと思います。(^O^)

 

長文を読んでくださり、ありがとうございました!

 

(追記)    色々調べました。

 

現実に存在した哲学者サルトル。彼が唱えた、存在の定義。このゲームはサルトルの哲学論をゲームの構造自体に落とし込んでいますね!(サルトルが定義した即時存在と対自存在。即時存在は、物が世にあることで存在が定義される。対自存在は自己を意識することで存在が定義される。人間は対自存在。)
ゲームの最後、生きることに意味を見出すのか死ぬことに意味を見出すのかをプレイヤーに自ら選択させること。
その「選択する」ということ自体が対自存在の定義である「自己を意識する」ことになっている。
最後に選んだ結果が各プレイヤーの物語の答えとなる本作は、サルトルの存在の定義そのものを表現しきっていますね。

それでいうとヨルハ部隊を抜けて存在意義を失っても尚、自らの生きる道を探して生きてきたA2は、このゲームを一番体現しているキャラクターなのかなと思いました。

 

また次の記事で会いましょう!
アデュー!!

パクリとリスペクトの話。

(この文章は殴り書きに近い、荒いものになります。書きたいから書きますw)

 

パクリとリスペクトの話。

昨今、「真似をする」ことを「パクリ」と「リスペクト」に分ける風潮があります。

「パクリ」は盗み。
「リスペクト」は模倣。

だけど、僕は違和感を感じるんです。


いやいや、どちらも模倣だし、どちらも盗みと言えますよ。
愛があろうが、理解があろうが、許可を得ていようが、無許可であろうが、真似は真似。 盗みであり模倣であり真似ですよ。

いくら言葉を分けて見た目を変えても意味がないです。

綺麗な言葉で誤魔化してるように思えます。

僕は、創作の基本は、「真似」「盗み」「模倣」だと思っています。

何の下地もなく、なにかを作り上げるなんて神様にしかできないですよ。

文化的遺伝子が連綿と受け継がれる人間の歴史の中では、どんな人でもどんな物でも、どう足掻こうと何かの真似をしています。
そうやって物を作っているんです。

僕が言いたいのは、「パクリ」や「リスペクト」といった「真似する」ことを、細かく指摘などせず、許容しあっていこうよってことです。

例えば、歌手のカバー曲。
例えば、イラストの構図流用。
例えば、物語の設定の模倣。

同じ曲を歌っても、構図が同じ絵を描いても、世界設定が同じ物語を作ろうと、オリジナルの作品と全く同じものにはなりません。

極論でいうと、歌であれば、同じ声、同じ音、同じ歌詞、同じ歌い回し、で歌を歌ってもオリジナルと全く同じ物は出来ないはずです。

だって同じ人間は1人として存在しないのですもの。

ただし、本質を複製する事になれば話は別です。
(ここで言う本質とは、作品ごとの核のことです。)

それをしてしまうのが、「イラストのコピー」であったり、「誰かの楽曲をそのまま自分名義する」ようなことです。

これはダメ!

作品を売ることによって得た利益は全て、その作者が受け取らなければならない。

作品の本質の複製はせず、その作品の良さは真似をして、作品を作る。

それを心掛けていれば、言葉に縛られることなく、良いものが創造できる世の中になるような気がします。

 

 

何が言いたいのかゴチャゴチャになりましたw

ちょっと思うところがあって文章に残したくて筆を取りました。

お目汚し失礼しました!

これで少しでも何が言いたいか伝わるかな

 

 

ニーアオートマタ ネタバレ無し

「ニーアオートマタ」

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奇才、ヨコオタロウ氏が生み出す一癖二癖もある物語とゲームデザイン。それをプラチナゲームズが制作するという完璧な布陣で作り出したゲーム。

 

先日寝ずにやってクリアしました!(^o^)

それはもう命を削りながらやりましたよw

 

結論から言うと、すご〜〜〜く面白かったです!!ワンダフル!!

 

高いお金を出して限定版を買っただけの甲斐がありました。というか、それ以上の良い体験をさせてもらいました。

 

「感想」

制作発表時、プラチナゲームズが制作すると聞いた時から「アクション」には期待をしていましたが、予想通り、すごく良かったです!

 

 むしろそこだけじゃなくて、前作でも採用されてた「カメラの強制位置固定」や「ノベル要素」などのニッチな要素をこれでもかとぶち込み、それでいてゲーム全体のバランスがとれていたのは、プラチナゲームズの制作陣の愛と技術とセンスの賜物ですね!!

 

しかしだからと言って、インディーズ感が無い訳ではなくて、各所をわざとアンバランスにするというバランスの取り方もしててその具合も美しいw

 

ゲーム全体としての完成度で言えば、完璧に近いんじゃないかな。

 少なくとも私的美的センスでは、すごく整ってました!!

 

 

「物語」

物語の内容もすごく良かった!!

 今回はSF色が今までのヨコオ作品に比べて強いです。

「荒廃した世界での機械同士の代理戦争」
「心を持たない者たちと人類の行き着く先にあるもの」

 SF好きの僕は超大歓喜ですよ!(*≧∀≦*)

 

また、ヨコオゲーの物語の特徴と言えば、基本的に鬱ゲーと呼ばれています(見方によっては様々な風に捉えることができますが)。

 悲しかったり、哀しかったり、切なかったり、クスッときたり。その上で何かを感じ取るという表現。それが従来からのファンを魅了してきました。

 こういった表現はもちろん今作も健在であります!
是非色々な人に楽しんで欲しいですw
(ゲス顔

 

 

「音楽」

前作に引き続き岡部さんの創る音楽が素晴らしい!

 「色々な人々の暮らしの中に混在する、澄んだ川の流れや錆びた鉄骨の匂い」のような清濁を併せ持った表現の音楽。

 ゲーム内で、すごく気を遣って繊細な音の魅せ方をしていると感じました。

 今回もサントラ購入確定しちゃううう!!

 

 

「キャラクター」

今作のキャラクターデザインも素晴らしいです!!

全体的に黒と白を基調にしたデザインは、荒廃した世界感とマッチしていて独特な世界を作り上げています。

 各所で話題になっていますが、2Bちゃんが超カワイイですw

 もちろん、美ショタな9Sや女性にモテる美しい女性的なA2も良い!w

 

 

「まとめ」

実は先ほど文章を書く為にプレイを思い出していると涙しそうになりましたw。

 でも
誰かが亡くなるとか不幸なエピソードを思い出す様な、過去を振り向いての負的な涙ではありません。

 

前を向いて流す涙。

 

僕はゲーム中に最後の展開を迎えた時、「安易な感動」の体験ではない、「心が震える」ような体験をしました。

 それがプレイし終えた後も余韻を残すんです。


私事ですが、僕が生まれてから初めてゲームを遊んだ、幼き頃のあの日から幾年も時が経ちました。

 若輩ものですが、こんな僕でも挫折や喜び、出会いや別れ、色々な出来事がありました。

 そしてそれは僕だけに限った事ではなく、世界中の人たち、勿論本作のディレクターのヨコオタロウさんも同じだと思います。

 

前作「ニーアレプリカントゲシュタルト」から本作が発売するまでにも8年もの歳月が流れています。

 

この世に生まれて、ヨコオさんが経験した事、変化した事、想った事。

そこに製作者全員の培った経験や技術が加わりできた作品。

 

本作は、間違いなく現時点での、ヨコオタロウの集大成だと思います。 

 

たしかに本作は万人にウケるような内容ではないですが、一部の人の心に深く美しく思い出が残る作品です。

 

「本当に、ゲーム史の1ページに大きく名を刻んだなぁ。」と自信を持って言えます!

 製作者の皆さんには脱帽です。


是非色々な人にプレイして欲しいと思います。

 

 ここまでお読み頂き、ありがとう御座いました!!

次回はネタバレ有りで感想書きたいです!

それではまた次の機会に!!

アデュー!!

血煙の石川五ェ門

(2月17日に加筆修正しました。)

 

血煙の石川五ェ門
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先日ついに観てきたよ!!!
いやぁ〜面白かった!

 
小池健監督の「Lupin the lllrd」シリーズ第2弾 「血煙の石川五ェ門」です。

今回は「墓標」よりも上映館数が多かったので、岡山で観ることができてよかったあ!

今回もネタバレ全開で感想を述べたいと思うよ!注意してね!
 


っと!その前に。

今回の主人公石川五ェ門について最初に触れてから、映画の感想にいきたいと思います。
 
石川五ェ門が初めてTVアニメに出てきたのは、ファーストシリーズ第5話「第十三代目石川五ェ門登場」の回です。
 
[ 石川五ェ門伊賀流忍術の使い手である百地三太夫の愛弟子として登場し、裏の世界の頂点を決めるためにルパン三世と対決します。
ですが、実は百地三太夫は自らが頂点に返り咲く為に、五ェ門とルパンを殺し合わて2人を葬り去ろうとしているのでした。
その思惑は、ルパンによって崩れ去り、百地は死にます。
そして残されたルパンと五ェ門は決着をつけるべく戦う。]
 
という話です。


この話から分かる通り、五ェ門とルパンは、そもそも敵同士として登場します。
そして後の第7話「狼は狼を呼ぶ」にて、晴れて仲間となるのです。


ちなみに「血煙の石川五ェ門」は、このファーストシリーズ第5話と第7話の間の時間軸に位置付けられます。
ですが、ルパン三世は製作者によって設定が変化する作品、ふんわりと考えていればいいと思いますw。
これを踏まえて、今回の映画を観ると趣き深くなりますよ!

 

では、以下 ネタバレ有りで「血煙の石川五ェ門」の感想を述べていきます!
 

 

 

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 今回のお話は、五ェ門が刀を振るう際に裏で何を思っているのか。
そして挫折し覚醒を経て、如何にして五ェ門が今の最強の剣士になったかが描かれています。

 
今回の敵は過去に2000人の兵士を亡き者にしたとされる、通称バミューダの亡霊ことホーク。
こいつが前作のヤエル奥崎に負けず劣らず強いw。
怪我をしようが、何をしようが、何処までもターゲットを追って追って追いまくるw。
一見優しそうな姿のおっさんが超絶パワーでひたすら追跡してくるという「行動原理が分からない。得体の知れないバケモノに追われる怖さ」があります。

ホークのターゲットは、ルパン、次元、峰不二子の3人です。
 
えっ!?五ェ門は?

 

そう思われたそこの貴方!


大丈夫です!
 
五ェ門は、日本伊豆諸島沖にある闇賭博船に於いて、鉄竜会という極道の用心棒をしています。
そこへルパン達が上前を掻っさらいに来て、ホークも乱入。
鉄竜会の組長が殺されます。
後日、五ェ門が仇討ちのためホークに勝負を挑み、負けます。
そして、修行を重ねて、リベンジをする。
というお話の流れになります。
 
つまり今回の話の筋は
「ホーク」→「ルパン&次元&不二子」
ゴエモン」→「ホーク」
の2つの軸で構成されてます。
(そこにホークを追う銭形も加わります。)
 
どうしてこのような、若干複雑な構成になるのか。
そこで最初に話した、ルパンと五ェ門の関係が重要になってきます。
 
この頃のルパンと五ェ門は、敵同士なんですよね。

しかもファーストシリーズに於いては、五ェ門はゲストキャラに近い扱いでした。
五ェ門のデタラメな強さの具合が、ルパンの普段の世界観とは別次元なんです。
だから、ルパンの話に五ェ門を絡ませる。もしくは五ェ門の話にルパンを絡ませる。しかできないんですよね。
 
この作品はむしろ、その部分にも焦点を当てていて、「別々の世界の住人であるルパンと五ェ門が同一の世界で交わる作品」になっています。

(いやぁ、「ルパン三世」に五ェ門を出す難しさは、相変わらずですよねw。超バランスブレイカーですもんw)
 
さて、ここまで色々複雑な事を書いてきました。ですが、安心してください!
 
本作は、そこまで複雑な話に見えないように、寧ろシンプルに、「五ェ門がホークにリベンジする話」にみせています。
 
その為に、本筋に不必要な要素を極力排除し、見せない様に隠す工夫がなされています。その隠された情報が「ホークのバックボーン」です。

そう聞くと、今作はそこが欠点にもなっているように聞こえます。
しかし、この作品の製作者は、よく考えていますよ。
 
ホークに殺しを依頼した黒幕については本編中、匂わせるだけで登場しません。
でも前作の最後に実は登場しているんですよね。
 
つまり

前作を見た人にとっては黒幕の正体が分かる。
前作を見てない人にとっては、匂わせるだけという最小の情報のみ。
そして、両者ともにホークの真の正体については、次作以降に持ち越しています。
 
こうすることによって、ルパン達の話を背景に置きつつ、「五ェ門→ホーク」の筋をメインに据えることに成功しているんです。
 
巷では、「話がシンプルすぎる。」なんて言われてますが、寧ろこの話をシンプルに見せている製作者は流石ですよ!!

 

今作は五ェ門がホークにリベンジする話。
 
その過程において、挫折、修行、覚醒と五ェ門が進化していくのですが、今作は五ェ門の心の変化を説明台詞で説明しません。
絵、役者の演技、音楽のみで表現しているんですよ。
そこが今作の一番の見どころであります。

 

息遣い1つにおいても一切の妥協なく繊細に表現されていて脱帽です。
(核になるこの部分を読み取らなければならないので、分かりにくい人もいるかと思います。自分も最初は若干見方を誤りました。)

 

今作は「感覚的」に、観て理解しければならない。

 

五ェ門が修行をして、全てを悟りホークを倒す。
この「悟り」を敵キャラとの対決の決着の要としていることからも、今作は「感覚的」に物語を構成している。と僕は考えています。
 
ここが前作「墓標」と決定的に違うところだと思います。
「墓標」と「血煙」はキャラクターと物語を作品毎にちゃんと色分けしているんです。
 
これはすごいですよ!!!
 
根底に流れるものは、ちゃんと残しつつ、題材になるキャラクターの特性を最大限生かした作品を作り、それを嫌味なく見せているんですから。

 

 

では ここからは、僕の好きなシーンを2つほど挙げていきたいと思います!╰(*´︶`*)╯♡

1つ目。

「五ェ門が雨の中、覚醒するシーン。」
 
ここはかっこいい殺陣が存分にみれる場面です。

一般的には、こういうカッコいいシーンに当てる音楽はカッコいい明るい音楽にすると思います。

でも、この作品は違うんです。
 
哀しいんですよ。音楽が哀しい。
 
これが、五ェ門が背負った業をよく表しているんです。
刀しか生きる道が無い。剣術しかアイデンティティがない。でもそれは、生き物の命を奪うということ。
それを「雨が降る中、流れる様にヤクザ50人を斬り捨てていく。」中で表現されているんです。
本当に良いシーンです。
 
2つ目。

最後の15分。「ホークが古寺を倒壊させるシーン。」

五ェ門とホークの対決の最終舞台として出てくる古寺。
其処をホークが、まるで踊っているかの如く打楽器のリズムに乗せて華麗に倒壊させていく。
その様子が観ていて凄く気持ちいいし、倒壊の際の細かな描写が大変に美しいです。
また、倒壊後の瓦礫の間から阿弥陀如来像がそびえ立つ絵が荘厳で美しい。むしろこの絵が見せたいから逆算して舞台設定していますよね?w

凄く好きなシーンです!


血煙の石川五ェ門」見たことない方は是非見てみてはどうですか?オススメです!
 
、、、、あっ、不二子ちゃんと銭形のことを言ってなかったー。
 
今回の不二子は髪型がショートボブでチョー可愛いです!!
出番はチョー少ないです。
でもマッサージされて喘ぐシーンがあります。
 
そうです。エロ要員です。
不二子はエロ要員なのです。←暴論
 
銭形は凄くかっこいいです。
小池ルパン作品の銭形は、モンキーパンチの原作設定を参考にしています。
ルパンや次元、不二子や五ェ門1人1人では太刀打ちできないほど強い。
それが今作のラストシーンで表現されていますよ!必見です!

お見苦しい点が多くあったと思います。ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
 
ちょっと今回の文章は難産でした。(書きたいことが多すぎて)。
これからもチョクチョク添削していくと思います。
 
 
ではまた会う日までアデュー!!!
 
 
 
 
 
 

次元大介の墓標

[映画感想]次元大介の墓標

 

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小池健氏が監督、キャラデザ、作画監督を務める「Lupin the lllrdシリーズ」の第1弾!!

 

公開されたのは2014年。

 

当時この作品は新宿バルト9での1週間の限定公開。
それが全国に拡がった形だったから映画館の数が少ないこと少ないことw。

観に行った映画館がマァ〜〜遠かった思い出。_(:3 」∠)_

だけど、そんな苦労をしてでも観る価値は十分にある映画だったよ!

そんな当時の記憶を辿りながら今作の感想を書いていこうと思います。

 

ネタバレは最初から全力でしていくので注意してください!!

 

でも個人的に言えば、このシリーズは、ネタバレなど全く苦にならないポテンシャルを持っている作品だと思います。

 

 

 

 

以下、ネタバレ有り感想。

 

 

 

 


次元大介ルパン三世がカッコいい!!!

 

もうそれに尽きますね!

 

L峰(別監督のスピンオフ作品。峰不二子という女)では、あくまで主人公は峰不二子でルパン達はサブキャラの位置付けで話が進んでいきました。

 しかし「次元大介の墓標」では、ルパン三世を軸に話が展開していきます。

 だから、基本的に話が横道に逸れることがありません。

 30分枠を2回分という限られた尺の中で「ルパン達全員の魅力」をみせる最適解だと思います。

 

そして、作品で描くものの軸を「ルパンと次元のバディの誕生」に絞り、ストーリーを煮詰めています。

 

ルパンと次元が、あまり信頼し合ってなくて「仕事上のパートナーだ。仲間じゃない。」と言っちゃうほどの関係。

 そこから如何にして信頼し合っていくのかが見所です。

 

大前提として、ルパンと次元は互いの仕事の腕は認め合っています。

ですから仕事関係以上の信頼を得る為には、プロフェッショナルの2人でも手に負えない仕事、困難を2人で乗り越える必要が出てきます。

 

そこで重要になってくるのが今作の敵キャラ「ヤエル奥崎」です。

 この映画の魅力は敵キャラ「ヤエル奥崎」が大部分を占めている気がしますw。

 

「東ドロワ」と「西ドロワ」が冷戦をしているという舞台背景。

 西ドロワの所有する宝石「リトルコメット」を狙うルパンと次元。

そこに次元の命を狙う暗殺者としてヤエル奥崎が登場します。

 

このヤエル奥崎がめちゃくちゃ強い暗殺者として描かれるのですが、その描き方が痺れるんですよね!

 

 僕が痺れたのは、ヤエル奥崎が銃を丁寧かつ迅速に組み立てるシーンです。

 

アニメーションは手書きで一枚ずつ絵を描かなければいけません。
ですのでこのようなシーンは大抵の場合に手を抜くか、描かれないことが多いです。

ましてや、1時間という限られた時間なので普通は端折られたりします。

 

でもこの作品はそこに時間を割くんですよね。

 

こういったシーンが、ちょくちょく挟まることによって「ヤエル奥崎」がいかにプロフェッショナルで強い人物なのかということが良く表現されています。

 また、「ヤエル奥崎」がフォークとナイフでステーキを丁寧に食べる場面があるのですが、そこも彼の神経質な性格が表現されていて僕の好きなシーンです。

 

そんな人がルパンと次元を狙う訳ですから。

2人にとってめちゃめちゃ困難な敵なんですよ!

 

しかし、「どうやって倒すんだよ!こんな相手!」なんて杞憂は、次元が見事に打ち砕いてくれます。

 

最後の、ヤエル奥崎と次元大介のクイックドロー対決はルパン三世作品中、屈指の名シーンですよ!

 

 

観終えて時間が経った今。

最近、僕が思ったのは「次元大介の墓標」は物語を「論理」で構築し、見せているなぁってことです。

 

ルパンの種明かしも非常に論理的なシーケンスとして存在していますが、それ以上の存在は「ヤエル奥崎」と「次元大介」の対決ですね。

 

次元とヤエル奥崎の力の差って、2人が物事をどこまで論理的に考えているのか。なんです。

 

ヤエルは徹底的に理屈にこだわっていて、彼が使う銃はクイックドローの為に作った、軽いオリジナル銃です。

 

一方、次元が使うコンバットマグナムは非常に重い。クイックドローには向いていません。
それでも彼は、「男のロマン」と言いコンバットマグナムを使います。

(男の子は誰でも、「無茶を通すこと」に憧れるものですねw)

 

最後のクイックドロー対決は、銃弾同士をぶつけ合って愛銃コンバットマグナムの利点を生かすという、次元の論理的発想によって決着します。

(漫画的な突拍子も無い嘘とリアルな描写が非常に良い塩梅で練られていて素晴らしいです。やっぱりルパン三世は、こうでなくっちゃ!)

 

「論理的発想」で銃を軽くしたヤエル奥崎に、「ロマン」で重い銃を使う次元が「論理的発想」で銃弾同士をぶつけてヤエル奥崎を打ち破る。


その展開自体も非常に論理的です。

 

この論理的展開は、次回作の「血煙の石川五ェ門」でキャラクターと物語の作品毎の対比として、非常に効果的に作用します。


そのことは「血煙の石川五ェ門」の感想記事で述べたいと思います。


全ての物語展開が、ルパンと次元をかっこよく見せる為に動いている。素晴らしい作品です。

 

見てない人は是非観てみてください!


、、、そういえば、不二子ちゃんの事を言ってなかった!

不二子ちゃんは、8割ヌードで出てきます。

はい。そうです。エロ要員です。

だがそれが良い!

 

不二子はエロ要員なんですよ!←暴論

 

一番最初のファーストシリーズの第1話でも、敵組織に囚われて、くすぐり拷問で喘ぐ場面で登場なのですからw

 

では、ここまで見ていただきありがとうございました!!

 

次回は小池ルパン第2弾「血煙の石川五ェ門」についての感想を書きたいと思います。

 

それではまた会う日までアデュー!!

 

 

 

この世界の片隅に

 

実は先日ルパンの映画を観に行った時、時間があったのでもう一本選んだ映画が「この世界の片隅に」。
行ったのがもう先週のことになるので思い出せる場面が少なくなるけど、今の気持ちを文章にしたいと思い、先にこの映画の感想を残します。

 

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 https://www.youtube.com/watch?v=kczb7IJJg0g&feature=share

 

[あらすじ]
昭和19年、広島市にいた絵が得意な少女・浦野すずは、呉に住む青年・北條周作のもとに嫁いだ。
すずは不器用ながらも懸命に暮らしていたが、空襲が度重なり……。

 

 

 

以下、ネタバレ無しの感想。

 

 

 

まず言っておきたいのは僕的には、この映画は戦争映画じゃあない、ということです。

 

戦争を題材にしたアニメ映画と言えば、有名な作品で「火垂るの墓」があると思います。


戦争の悲惨さや無情な世間、その中でひたむきに生きる兄妹を描く傑作です。


しかし、僕は「火垂るの墓」は気軽に見れないし、ある種の覚悟をもって観なきゃいけなくて、いつも再放送の度に気が重くなるんですよね。


あの辛い最後に向かって、着実に前に進む勇気が要るというか。

 

でも「この世界の片隅に」は、僕は気軽に観れたんですよ。


勿論、戦争を描いていることは間違いないんだけれど、そこにはいつも陽気があるんですよね。


それはやっぱり主人公のすずさんの存在かなぁって思います。

 

このすずさんって女の子が、まぁ能天気というか、明るいというか、とにかく場を和ませてくれるんですよね。


水彩画のようなアニメーションも世界をすごく可愛く魅せてくれるんです。それも相まってソフトな口当たりなんですよ。すずさんが何かする度に僕は「ふふっ(●´ω`●)」ってなってました。

 

じゃあ、デフォルメしてるから当時の戦時中の描き方が簡易になってるのかと言うとそうじゃないんです。


戦時中の描写は、多分徹底的に調べているであろうと思っちゃうほど、リアルに詳細に描いていて、そこに世界があるんですよね。
しかも、その描写について一切の説明がないんです。

 

例えば、普通の戦争題材作品では「この頃の食事は、こんな感じのものです!ね?美味しくなさそうだし、戦争中って辛いでしょ?。」みたいなのを、ある種押し付けてくるものもあると思います。


でも、この作品ではそういった強制が一切ありません。


坦々と 食事を作り、食べるシーンを見せるんですよ。作中の人たちも、自然な反応なんですよね。現代から見るとすごく貧しい献立にも、食事を楽しんでいる様子や平常運転感を自然に見せてくれるんです。


そうすると、そういう僕らが初めて見るものだったり、初めて得る知識みたいなものが作中に一杯あって正直初見でパッと理解できないシーンなんかもあるんですけど、それがあることによって、この作品世界が実際にあるように錯覚するんですよ。


「あぁ今、実際の映像を見てるんだぁ。」という気にさせてくれますw。

 

その中で、すずさんが動いているので、もうすずさんが実際にいたような気になってきます。

 

しかし勿論、戦時中が舞台の映画。


そういう描き方がだからこそ、そこへ誇張することのない闇が少しずつ忍び寄ってくる様が、非常にリアルに際立ち、恐怖する。ということもあります。

 

でも最後に僕たちの心に残るのは、前向きな気持ちなんですよね。


戦時中を描きながら前向きな気持ちになれる映画。僕はそう感じました。

 

 

 

ネタバレ無しはここまで!これからはネタバレ有りで書いていこうと思いますので注意してください。

 

 

 

 

 

 

以下、ネタバレ有りの感想。

 

 

この映画を鑑賞した時、僕は何回か涙しそうになったんですけど 「泣いちゃダメだ!」と強く思ったんですよね。


それは何故なのかなぁと観終わった後に考えてみました。


前述したように、 作中のすずさんは辛い顔をしません。

すずさんは和やかに健気に生きているから、大変なことが目に見えたり、不幸なことが起こっても何とか前を向いていこうとするんですよ。


それを見ていたら、「観ている僕が泣いたら、すずさんの意思に背くことになってしまう!」って僕は思いました。

 

そんな中で唯一、感情を抑えられなかったのは、終戦して天皇陛下のラジオが流されるシーンです。

 

それまで、健気に明るく生きているすずさんを見ながら、作中に世界に没頭しているからこそ、戦争が終わった事にすずさんが泣いて怒ることに僕は共感しました。

 

戦争は、早く終わった方がいい。だから原爆が落とされて良かった。なんて意見もあります。


確かに一理あると思うし、僕もこの映画を見るまでは半々の気持ちでした。

 

でもこの映画を見ると、当時の人達の中に終戦の際に怒った人が何故いたのかを理解することが出来た気がしました。

 

この映画は感情移入出来る映画というか、世界に自分が入ってしまう作品ですね。

 

しかし再度言いますが、終わった時の僕の感情は晴れやかでした。


すずさんは作中で、その時その時を楽しんで生きているんです。それが現代の僕らへのメッセージであるようにも思えました。


すずさんに、「今」を生きるんだよ。「今」の連続だよ。って言われているような気がして。

 

ああ僕の祖母や祖母の兄達が生きていたら、この映画を見せたのになぁ。

 

僕の祖母の兄が昔、「戦争が終わって直ぐにアメリカに飛んで金稼いで帰ってきたけど、為替の関係で大した銭にならんかったわぁ。」
なんて事を言ってたっけ。「楽しい事も一杯あったどぅ。」とも。

 

僕は岡山生まれで、親戚一同は広島なのですが、祖母の兄は「戦争を後世に伝える会」って団体をつくって何度も公演をしていました。今は彼の気持ちが少しだけ分かったような気がします。

 

広島の親戚のおばさんは、被災して背中に一面火傷痕があったことを思い出します。「戦争はいけんよぅ。」といつも言ってたっけ。

 

近年そういった戦争を経験した世代が亡くなっていってます。


戦争中、その時のリアルな思い出。

 

忘れたい事

 

忘れたくない事


この映画は、そんな事を彼らの代わりにすずさんが教えてくれる、そんな映画でした。


この映画を観て楽しいと思うか、悲しいと思うか、それは観る人それぞれでしょうが、日本に生きていたら一度は観た方がいい映画だと思います。

 

僕は、前向きないい映画だと思うし、もう一度すずさん達にあいたい。また見たいな。と思う良い映画でした。

 

長い感想でしたが、ここまで見てくれた皆様ありがとうございました!

 

また次回会う時までアデュー!!!