星を駆ける列車の窓辺

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(ネタばれ無し) 「このゲームは神ゲーではない!」デスストランディング 評-ゲームデザイン編 その1

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デスストランディング の私的評価が定まってきた。

結論から言うと、「デスストランディング 」は神ゲーではない(理由は最後に)。でも、今年一番ハマった。そして"オープンワールドゲーム"で初めて最後まで完走した作品になった。

従来のOWゲームはフィールドを大きくするあまり、点在するメインミッションやサブミッション、ミニゲーム間の距離が遠くなり、"移動"にかかる比重が増えていった。

しかし、ゲームの歴史の中で"移動"は、その快適性を高める方向にしか進化していなかった為、どこまでいっても"ファストトラベル"が終着点となる。フィールドを広くすればするほど、箱庭である必要がなくなってしまう。

また、OWゲームはミニゲームやサブミッションで、如何に多くの寄り道ができるかという方向にも進化してきた。その為、遊びの要素を増やせば増やすほど、主軸の遊びの優先順位が下がり、ゲームの骨子となる部分に副次的な印象を与えるようになってしまった。

 


これら2つのジレンマを、従来のOWゲームは常に抱えていた。

 


そこでデスストランディング は、「移動」を"遊びの主軸"に据える事で、フィールドの広さに必然性を与え、箱庭であることに意味を持たせている。

また、従来のOWゲームにおけるミニゲームの要素を"移動の過程"に入れ込んでしまうことで、主軸の遊びの優先順位も下げていない。

デスストランディング はOWゲームのジレンマをアイデアで解消しているのである。

僕がこのゲームを最後までプレイできたのは、この部分が大きいんじゃないかなと推測している。

 

考えてみれば、"移動すること"それ自体を楽しむゲームは今までにもあった。それも一番有名なゲームで。「マリオブラザーズ」である。

小島監督は、伝説の存在である「マリオブラザーズ」に倣い、OWゲームにステージ攻略という要素の原点回帰を図ったのだ。

更に、それだけに終わらせず、インターネットを使った遊びを1人用OWゲームに織り込み、ゲームを次の段階に進めたのである。(ストランドシステムについては、また後日)

そんなデスストランディング 。僕は冒頭で、このゲームは神ゲーではないと言った。

が、その真意は「ゲームを次の段階に進めた作品に、従来から存在する"神ゲー"という言葉を当てはめるのには違和感を感じる。」ということだ。

 

「デスストランディング は"神ゲー"ではない」

 

ふさわしい言葉が見つからないが、僕が言うとするなら、デスストランディング はゲームの進化の結び目。ホモ・ルーデンスが創った作品。

 

 

"人類が遺す芸術品"である。