星を駆ける列車の窓辺

主に好きなアニメ、ゲームについて書いていきます。

ダンガンロンパV3 ネタバレ有り感想

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先日、「ダンガンロンパV3」をクリアしました!!
まさかここまでハマってしまうとは自分でもビックリですw
この作品について少し思う事があり、感想を書くことにしました。

例によってネタバレ有りですので注意してください!

では以下、「ネタバレ有り」の感想です。

 

 

 


① 「プレイ後の簡単な感想」


歴代のダンガンロンパをプレイしてきた身として、今回のダンガンロンパV3の結末には、すごく感動しました。ダンガンロンパ1や2も高いハードルを超えてくれる作品達でしたが、ダンガンロンパV3は更にそれらを超えましたね!

恐れ多いですが、製作陣を讃えたい。そんな気持ちにさせてくれた作品です。
ここまで尖っていて尚「ダンガンロンパ」らしい作品に仕上げる、その制作の裏には並々ならぬスタッフの努力と超えねばならぬハードルがあったでしょう。それを思うと、それだけでこの作品を大切にしたいと思えます。
僕はこの「ダンガンロンパ」なら応援したいと思えるし、今迄支持してきた「ダンガンロンパ」は、こういう作品でした。

 

②「ダンガンロンパシリーズへの失望」


ダンガンロンパ」はこれまでに外伝を含め、漫画、小説と様々なメディアで作品の世界観を拡げてきました。そしてその度に、多くのファンが付き、肥大化し、徐々にダンガンロンパの本質を薄めていくことになります。ゲームの1、2でこの作品にハマった僕は、このメディアミックス展開に違和感を感じてきていました。
違和感が顕著になったのは、アニメのダンガンロンパ3を見た時です。
アニメのダンガンロンパ3が発表された時、当初の僕は「週に2回別々のラインのダンガンロンパアニメを二本走らせる」試みに胸を躍らせたものです。どんな驚きを見せてくれるのかワクワクしていました。
しかし、実際にアニメを見てみると1、2の登場人物達の補完に終始し、このアニメの放送形態ならではの表現が少なかった。
僕はこの時点で、ダンガンロンパは終わった。と思いました。
ファンの望む展開、補完に終始した「ダンガンロンパ」は消費物に成り下がり、ただただ作品寿命を薄く伸ばしながら金儲けしていくだけ存在になったのだと、もうこのスタッフ達の才能は枯渇したのだと、ある種の失望を感じたと思います。
しかし、V3をプレイし終えた今は理解できます。
実はダンガンロンパ3で感じた消費物感すらもV3の結末のための前振りであったのです。
主人公たちが消費物からの脱却を図る
V3の物語は、僕の望んでいた、尖った「ダンガンロンパ」だったのです。

 

③「ダンガンロンパキャラゲー?その本質とは?」


よく「ダンガンロンパキャラゲーである」とする声を耳にします。だけど僕は違うと思っています。
僕の解釈では「ダンガンロンパ」におけるキャラクター要素は、作品を構成する1つの道具にしか過ぎず、ミステリー要素、SF要素、アドベンチャー要素、それらの要素全てが、「先のわからない奇想天外なゲーム」を作る為に存在している。
有名な声優を惜しげもなく起用し、キャラクターデザインと設定に力を入れ、デスゲーム外の日常風景を細く描写しているのは、犯人の正体をボヤかし、推理ゲームとしての推理を撹乱して「先のわからない奇想天外なゲーム」を作る為でなのです。
そして、今回のV3はその「先のわからない奇想天外なゲーム」そのものなのです。
賛否両論であるV3のオチも「ダンガンロンパ」の本質の結晶なのです。

 

④「V3の結末」


V3のオチが、ダンガンロンパの過去キャラクターの存在を否定しているという人がいますが、僕はそうは思いません。
最原達は、フィクション上で自身達の命を散らしながら「ダンガンロンパシリーズという消費物」からの脱却を図る事で、その影響をノンフィクションの世界にまで及ぼし、フィクションとノンフィクションを超えたところに自身達の生きた証を刻みました。
これは、最原達フィクション作品の登場人物の現実世界への挑戦です。
最原達の挑戦は、ダンガンロンパの過去作のキャラクターや死んでしまったキャラクターをも「消費物としていずれは世の中から忘れ去られる存在」から「フィクションとノンフィクションを超えた唯一の存在」へと昇華したと言えるのです。
一部のファンは、ダンガンロンパ1、2の世界が無かったものになってしまう様に思っているみたいですが、その考え方こそがV3の物語のなかで最原達が脱したかった世界なのではないでしょうか。
フィクションであることを提言しただけで飽きられる存在。
フィクションであることを提言しただけで冷められる存在。
そんな消費物的存在から抜け出したいからこそ、最原達は最後にダンガンロンパを否定したのではないでしょうか。
V3の物語がどうであろうとダンロン1、2の彼らの物語が変わるわけではないし、僕らがゲームをプレイして得た感情が偽物に変わってしまうわけでもない。
そもそも、1も2もV3もスパイクチュンソフトが作った「ゲーム」なわけでこの世に存在しないもの。
そこに命を見出し、愛情を注いだ、究極の結果が「ゲームを脱した存在にさせる」ということなのです。
ダンガンロンパの制作スタッフは、一部の消費物愛好的ファンより、余程キャラクター達への愛が深いのではないでしょうか。

 

⑤「最後に」


クリエイターのこの作品への愛。

賛否は起ころうともそれでもファンに理解されると信じた勇気。
それに僕は感動しました。
スタッフや最原達が信じたように、僕も自分で決めた道をひたすらに信じられる人間でありたいですね。