星を駆ける列車の窓辺

主に好きなアニメ、ゲームについて書いていきます。

超絶ネタバレ有り。ニーアオートマタ ネタバレ 感想

追記&文章改変しました。

 

 

[今回の記事はネタバレ全開です!!]

 

まだプレイされてない方で興味のある方は、ネタバレ無しの記事も書きましたので宜しければそちらをどうぞ!

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※ 初見は情報を見ずにプレイした方が絶対に良いです!
注意して下さい!

 

では、以下ネタバレ有りの感想です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「命もないのに殺しあう」

 

クリアした今となっては、すごく秀逸なキャッチコピーですよね!

命を持たない者たちの心の葛藤を描くことで"存在,,というテーマを浮き彫りにしています。

 A2や9S、パスカルの最後の選択だけに留まらず、サブクエやウェポンストーリーに至るまであらゆる所に"存在,,というテーマを仕込んでいてゲーム全体が大変美しいです。

そして選択肢を沢山用意してプレイヤーに選択させることで、作品のテーマや問いかけにプレイヤーが答えを強制されることがないのが良かった。

ゲームにしかできない、インタラクティブな作品になっています。

 

本作は周回前提の内容ですが、その度に新たな謎が展開されていく構造になっています。なので飽きることなく最後まで楽しむことができました。

予算と容量をを節約しながら、良いものを作るために工夫をする。その創造性はすごく日本らしい。

お金を掛けまくってリッチなゲーム体験を提供する、洋ゲーとは真逆の発想です。日本にしかできない細やかな気配りと作家性があって、日本産ゲームのあるべき方向性を明確にしていると思います。

 

[ゲームプレイ]


1周目は2Bを使ったプラチナイズム全開のゴリゴリ3Dアクションと様々な形のシューティング。
2周目から使う9Sでは"ハッキング,,が加わり、レトロシューティングゲームの要素がプラスされる。
3周目はプラチナアクションとシューティングとレトロシューティングゲーム

 ゲーム序盤からシューティングの要素が散りばめられ、その度合いは周回ごとに徐々に強まっていき、それが最後の弾幕シューティングへの伏線になっている。完璧なバランスだと思います!

 

レトロシューティングは、本アクションとのゲーム感そのものを変えることで、アンドロイドがネットワークに潜る感覚を再現することにも一役かっています。それがプレイヤーのゲーム世界への没入感を高めてくれています。

 このシューティング要素は、世間では賛否両論だけれど、僕はシューティング大好きなので心を射抜かれました。

シューティング要素はゲームの発売日まで一切公開されず伏せられていたし、ゲーム開始直後がシューティングシーンだったので、これは確信犯でしょうw

そのからかい具合が、実にヨコオタロウさんらしいですw

 また、
ゲーム起動直後からアナウンスされるオートセーブの排除予告にも笑いましたw

 それに伴った義体システムはデモンズソウルの血痕システムのそれですが、ただ真似るのではなく世界設定や物語形成にまで落とし込んでいてオリジナルなものになっています。

 

[物語の話]

 

今作は、アンドロイドと機械との代理戦争の話です。

アンドロイドと機械は「戦いに勝つ」という目的を創造主に与えられています。

創造主のために戦うことが存在意義。

その中で、機械は生きる意味を多様に見出していこうとします。
そして、アンドロイドも機械と触れ合うことで少しずつ生きる意味の多様性に気付き始めるのです。

しかし、突然訪れる真実の開示。

双方の創造主は既に死亡していた。
創造主の死亡は、存在意義の喪失。
生きる意味の多様性を考える以前に存在意義自体を失ってしまう。


そんな中で、なんとか生への意味を見出そうとする9S。

 

彼は、2Bこそが自身の生きる意味だと思いはじめる。
しかし、2Bを激しい戦いの中で失ってしまい、世界への存在意義と同時に生きる意味すら失ってしまう。

 

一方、2Bを介錯したアンドロイドのA2。

 

彼女は、創造主を裏切った脱走兵。
かつての仲間も全員死んだ。
存在意義が無い。
生きる意味もない。

 

この世に何も執着がなくなった彼らが互いに殺し合う姿は、実に虚しく悲しく美しいのです。

そして死の間際に2人は、亡くなった人達が自らの生きる意味であったと確信しながら絶命する。

それは、死ぬことこそが彼らの救済であるかの如く。

 

そんな中、これまでずっとアンドロイドを随行支援していたポッドの存在が、非常に重要な役割を果たします。

ポッドはアンドロイドを俯瞰して見ていました。

複数のポッドが情報交換することで形成された感情や意思とは、キャラクターを俯瞰でみているプレイヤーの感情や意思そのものなのです。
そのポッドに最後のシーケンス(アンドロイドの生死)を選択させることでプレイヤーをゲームの中に引き入れているのです。

 

そして、最後のスタッフロールシューティングでの選択。

 

業苦の中ででも意味を見出して生を選択するのか。

安堵を求め死を選ぶのか。

それはポッドたちの選択であるが、同時にプレイヤーの選択でもあります。

 

Eエンドをみて、生に救いを見出すのか。
Eエンドを見ずに、死に救いを見出すのか。

プレイヤーに投げかけ、選ばせる。

生きることの意味を、死ぬことの意味をプレイヤーに考えさせる。

これまでのヨコオタロウ作品の傾向からみても、ニーアオートマタではヨコオタロウ自身は恐らく、C・Dエンドが最終結論なのだと思います。

 

製作者の物語への結論は、死による救済。


それを否定するのか。
または受け入れるのか。

 

Eエンドで製作者の名前を全て壊すのは、製作者の意志へのプレイヤーの反抗のメタファーであるように思うのです。

それは、自らのゲームを壊させるクリエイターの自殺願望とも取れるし、この世と生への希望をプレイヤーに託しているようにも思えます。



ゲームの構造と物語を融合させ、尚且つプレイヤーとゲームの壁をも飛び越えて、この物語の結末をプレイヤーに委ねる。

これから僕たちがどんな選択をして、数年後このゲームの結末がどの様になっているのか。すごく楽しみです。

 

自らのセーブデータを他者の願いに託し、託された人が、また他者の願いを祈る。
この螺旋が続く限り、世界への希望。生きることへの希望は存在するのかもしれないと僕は思いました。

 

いやぁ、すごいゲームです!
まだまだ言ってない魅力がギュウギュウに詰まっていて ミルフィーユみたいな物語とゲーム構造なんですよね!

ゲーム業界全体で考えても、TOPクラスに心に深く刻まれた作品になりました。

次回作に大いに期待しつつ、これからもこのゲームをやり込んでいこうと思います。(^O^)

 

長文を読んでくださり、ありがとうございました!

 

(追記)    色々調べました。

 

現実に存在した哲学者サルトル。彼が唱えた、存在の定義。このゲームはサルトルの哲学論をゲームの構造自体に落とし込んでいますね!(サルトルが定義した即時存在と対自存在。即時存在は、物が世にあることで存在が定義される。対自存在は自己を意識することで存在が定義される。人間は対自存在。)
ゲームの最後、生きることに意味を見出すのか死ぬことに意味を見出すのかをプレイヤーに自ら選択させること。
その「選択する」ということ自体が対自存在の定義である「自己を意識する」ことになっている。
最後に選んだ結果が各プレイヤーの物語の答えとなる本作は、サルトルの存在の定義そのものを表現しきっていますね。

それでいうとヨルハ部隊を抜けて存在意義を失っても尚、自らの生きる道を探して生きてきたA2は、このゲームを一番体現しているキャラクターなのかなと思いました。

 

また次の記事で会いましょう!
アデュー!!