星を駆ける列車の窓辺

主に好きなアニメ、ゲームについて書いていきます。

パクリとリスペクトの話。

(この文章は殴り書きに近い、荒いものになります。書きたいから書きますw)

 

パクリとリスペクトの話。

昨今、「真似をする」ことを「パクリ」と「リスペクト」に分ける風潮があります。

「パクリ」は盗み。
「リスペクト」は模倣。

だけど、僕は違和感を感じるんです。


いやいや、どちらも模倣だし、どちらも盗みと言えますよ。
愛があろうが、理解があろうが、許可を得ていようが、無許可であろうが、真似は真似。 盗みであり模倣であり真似ですよ。

いくら言葉を分けて見た目を変えても意味がないです。

綺麗な言葉で誤魔化してるように思えます。

僕は、創作の基本は、「真似」「盗み」「模倣」だと思っています。

何の下地もなく、なにかを作り上げるなんて神様にしかできないですよ。

文化的遺伝子が連綿と受け継がれる人間の歴史の中では、どんな人でもどんな物でも、どう足掻こうと何かの真似をしています。
そうやって物を作っているんです。

僕が言いたいのは、「パクリ」や「リスペクト」といった「真似する」ことを、細かく指摘などせず、許容しあっていこうよってことです。

例えば、歌手のカバー曲。
例えば、イラストの構図流用。
例えば、物語の設定の模倣。

同じ曲を歌っても、構図が同じ絵を描いても、世界設定が同じ物語を作ろうと、オリジナルの作品と全く同じものにはなりません。

極論でいうと、歌であれば、同じ声、同じ音、同じ歌詞、同じ歌い回し、で歌を歌ってもオリジナルと全く同じ物は出来ないはずです。

だって同じ人間は1人として存在しないのですもの。

ただし、本質を複製する事になれば話は別です。
(ここで言う本質とは、作品ごとの核のことです。)

それをしてしまうのが、「イラストのコピー」であったり、「誰かの楽曲をそのまま自分名義する」ようなことです。

これはダメ!

作品を売ることによって得た利益は全て、その作者が受け取らなければならない。

作品の本質の複製はせず、その作品の良さは真似をして、作品を作る。

それを心掛けていれば、言葉に縛られることなく、良いものが創造できる世の中になるような気がします。

 

 

何が言いたいのかゴチャゴチャになりましたw

ちょっと思うところがあって文章に残したくて筆を取りました。

お目汚し失礼しました!

これで少しでも何が言いたいか伝わるかな